朝の感情

長い間生きていろんな経験を積むにつれ、自分の素直な感情を認識しにくくなると思う。

赤ちゃんは、外界からのすべての刺激に対してストレートに反応し、快・不快などの表現をする。(当然感情をコントロールする術はなく、自分を守ってくれる存在がいるからその必要もない。)

大人になると、世の中のいろんなものと対峙する必要があり、無防備でいるわけにはいかない。関わりたくないものに対して、いやだからといって放棄できたら楽であろうが、そうもいかない。
またそのほか、社会や集団の中では必然的にその人の「役割期待」なるものが生じて、周囲の期待に沿うよう、各人の行動が無意識のうちに制約されることも多い。「その人らしさ」を演じることが、暗黙のうちに要求されるのである。

こうして人はだんだんと自分の素直な感情、内なる心の声から遠ざかってしまう。


その点、朝は無防備である。
昨日の感情からいったん切り離され、その時点で一番強い感情を自覚できる時間だと思う。
例えばその日に楽しいことが待っていれば「今日は○○がある!」と、喜びの感情がわいてくるだろうし、
数日後に大事な商談を控えていれば、そのことが真っ先に頭に浮かんでプレッシャーを感じるだろうし、
大切な何かを失った直後であれば、胸のしめつけられるような思いになるだろう。

また、朝テレビをみているとき「朝からこの話題はやだなー」とか「朝からこの顔はみたくないなー」ということがあると思う。
仕事で困難な案件に直面して「朝からその件か・・・、重いなー。」などと思うこともある。
これらはみな、自分の防御体制が整っていない段階で、ある意味の戦いが始まったために起こる感情だと思う。

午後になると、反応は違ってくる。自分を守る体制ができあがっているから。
例えば朝一番で思い出した懸案事項(例えば今度人前でのスピーチをしなければならない、など)は、午後になって思い出しても、朝ほど苦痛には感じられない。
朝と午後で、反応が違ってくる。

翌朝思い出したときは、また逆戻りして前日よりも苦痛に感じられたりする。

そういう意味で、朝一番の感情というのは、そのときのその人の素を確認できるときだと思う。